~12球団ジュニアトーナメント出場、甲子園出場、それでも後悔が残った理由~
「実績はあるよね」
と言われたことがある。
確かに振り返れば、
12球団ジュニアトーナメント出場、
甲子園出場、大学時代タイトル獲得。
表だけ見れば、
恵まれた野球人生だったかもしれない。
でも正直に言うと、
自分の中では “やり切った” とは言えなかった。
この記事では、
結果だけでは語れない人生とそこから今、
何を考えているのかを書いてみたい。
①小中学校時代|お山の大将だった自分
小学校、中学校の頃は、
正直「お山の大将」だった。
自分の中では敵なしで、
野球が上手くいかない感覚をほとんど知らずに過ごしていた。
小学校の時には、
12球団ジュニアトーナメントにも出場した。
その頃の自分は、
「このままいけば、もっと上に行ける」
そんな根拠のない自信を持っていたと思う。
②高校で感じた “飲み込まれる感覚”
その感覚は、高校に入って一気に壊れた。
周りには、
自分と同じレベルもしくは
それ以上の選手が当たり前のようにいた。
気づけば、
「思ったより自分は伸びない」
そんな感覚に飲み込まれていった。
ピッチャーとして通用しなかった現実
高校ではピッチャーとして入学した。
球速は130キロ前後。
特別速いわけでもなく、試合では普通に打たれた。
チーム内での評価は高くなく、
監督からは怒られ、結果も出ない。
正直しんどかった。
それでも練習だけは続けていた
それでも、練習だけは手を抜かなかった。
結果は出ないけれど、
取り組む姿勢や練習態度は評価してもらえていたと思う。
今振り返ると、
それだけが自分の唯一の “武器” だった。
③外野手へのコンバートと葛藤
そんな中で、監督から
「外野をやってみろ」
と言われた。
当時は、正直複雑だった。
でも今思えば、
それは切り捨てではなく、
自分に残された可能性への道筋だったのだと思う。
外野手としてレギュラーにはなれたが、
思い描いていた野球人生とは違い葛藤は消えなかった。
④甲子園出場と消えなかった後悔
3年夏、
念願の甲子園には出場できた。
3番センターとしてプレーした。
でも、結果も内容も全く納得できなかった。
「こんな終わりでいいのか」
そんな気持ちのまま引退を迎えた。
後悔の方が強く残った3年間だった。
⑤大学野球|ピークと大きな挫折
高校卒業後は、
県内の私立大学に進学し、硬式野球を続けた。
1年秋のリーグ戦では、
ベストナインを獲得し、
打率2位で首位打者争いにも加わった。
のちにプロ野球の舞台で活躍する投手からもヒットを打ち、
「おれも頑張ればプロに行けるんじゃないか」
そんな夢を抱きながら日々の練習に励んだ。
ただ、それがピークだった。
2年目以降は徹底的に研究され、全く打てなくなった。
野球が嫌いになりかけ、
辞めたいと思うほどの挫折を味わった。
⑥それでも野球から離れなかった理由
それでも今、
野球から完全に離れなかったのは、
いかなかった経験に、意味を持たせたいと思ったからだ。
夢ake Baseballは、成功談を語る場所ではない。
伸び悩み、環境に飲み込まれ、
それでも考え続けた人間の記録だ。
まとめ
結果だけを見れば、
「実績はある」と言われる野球人生かもしれない。
でも、
納得できなかったからこそ、今も野球と向き合っている。
この経験が、
野球経験を「思い出」で終わらせたくない誰かの “次の一歩” につながれば嬉しい。



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