──選ばれた先にあった現実と、今も残り続けている財産
はじめに
NPB12球団ジュニアトーナメント。
今から10年以上前、小学6年生だった私は、
この舞台に立つ機会をもらいました。
野球を始めた頃から、
「プロ野球のジュニアチームがある」
ということは知っていて、
いつか自分もそこに立ってみたい。
そんな憧れと目標を持って、
野球に取り組んできました。
ただ同時に、
全国大会に出て、有名になって、
活躍しないと選ばれない。
簡単な話じゃないだろうな、
という気持ちもありました。
それでも当時の自分は、
小学生ながら球速は120km/hを超え、
身長も170cm近くあり、
バッターとしてもホームランを打てる。
「もしかしたら、いけるんじゃないか」
そんな気持ちを持っていたのも、
正直なところです。
選考と、選ばれた時の気持ち
最後のマクドナルド杯では、
県大会の1回戦で敗退しました。
それでも試合を見ていたスカウトの方が、
私のピッチングを評価してくれて、
県の第一次選考会に声をかけてくれました。
そこである程度アピールができ、
地方の最終選考会まで進むことができました。
実際には一次選考の段階でほぼ
決まっていたそうですが、
当時の自分はそんなことは分からず、
ただ必死に投げて、必死にアピールしていました。
最終的に、
無事にジュニアチームの一員として選ばれた時は、
嬉しさと同時に、
「ここからが本当のスタートだ」
そんな感覚もありました。
入ってすぐに味わった“別世界”
チームに入って一番きつかったこと。
それは、
自分より上手い選手しかいない環境に
放り込まれたことでした。
初めての全体練習は、
今でもはっきり覚えています。
アップ、キャッチボール。
その時点で、
まるで野球を始めたばかりの
感覚になるほどの衝撃。
肩の強さ。
流れるような守備。
小学生とは思えないノック処理。
そして、桁違いのスイングスピード。
「小学生で、ここまでやるのか…」
プロ野球選手の試合を、
目の前で見ているような感覚でした。
正直、
このチームで2か月間、
練習についていけるのか。
不安の方が大きかったです。
それでも同時に、
ワクワクする気持ちと、
「負けないぞ」
という気持ちも確かにありました。
きつさの正体は“量”ではなかった
チーム練習は2週間に1回。
回数は多くありません。
ですが、その分、
内容は非常に濃いものでした。
ただ走り込んで苦しい、
という練習ではありません。
全体でノックやバッティングを行い、
最後に追い込みとして行われるメニューがありました。
印象に残っているのが、
連続ティーバッティングと、
ポール間ダッシュ(PPダッシュ)。
連続ティーは、
「20球×3セット」などではなく、
「もういいよ」と言われるまで
ひたすら振り続ける。
手が痺れて、
バットを握れなくなるくらいまで、
小学生が本気で振り込む。
今思えば、
よくあれをやっていたな、と思います。
でもその時、
強く感じたことがあります。
プロのチームが、
これだけきついことをやっている。
どれだけ上手くても、
きつい練習はやらなければいけない。
乗り越えなければ、先はない。
そのことを、
小学生ながらに感じました。
数字で突きつけられた“基準”
練習が始まって3〜4回目の全体練習で、
スイングスピードを測る機会がありました。
小学生なのに、
130km/h、140km/hを出す選手が
当たり前のようにいる。
驚いていると、
練習後に監督からこう告げられました。
「次の練習までに、スイングスピードを10km/h以上アップできなければ、次回の練習には参加させない。」
今思えば、
かなり厳しい条件です。
でも当時の自分は、
10キロという数字を、
そこまで難しいものだとは
感じていませんでした。
ただ、
達成できなければ練習に参加できない
というプレッシャーは、確かにありました。
そのおかげで、
今まで以上にバットを振りました。
がむしゃらに練習しました。
結果的に、
次の練習ではスイングスピードが
15キロほど上がっていて、
それが大きな自信にもなりました。
何より、
天狗にならず、
もう一度原点に戻ることができた。
「自分より上手い選手は、いくらでもいる」
そう気づけたことが、
一番の収穫だったのかもしれません。
環境が能力を引き上げた3か月
ピッチャーとしての話もあります。
ジュニアに選ばれる前の
球速の最速は120km/h。
十分速いと思っていました。
この3か月弱の練習期間で、
特別なフォーム指導や技術指導は
ほとんどありませんでした。
投げ込みも、
極端に多かったわけではありません。
それでも、
OBとの紅白戦で計測した球速は125km/h。
わずか2か月ほどで、5キロのアップ。
理由は正直、はっきりとは分かりません。
でも一つ言えるのは、
環境が自分を引き上げてくれたということ。
周りには、
将来プロに行くんじゃないか、
そう思える選手が当たり前のようにいる。
そんな中で練習することで、
「もっと上手くなりたい」
という気持ちを、
何度も思い出させてもらいました。
この経験は、
小学生から誰もが味わえるものではありません。
数字以上に、
取り組み方、姿勢、考え方。
野球の引き出しが、
大きく増えた期間でした。
予選敗退と、忘れられない悔しさ
大会の結果としては、
予選リーグ敗退。
決勝トーナメントには進めませんでした。
負けた試合は、2対0。
その2点を取られたピッチャーは、
私でした。
試合中盤、
ピンチの場面でマウンドに上がり、
相手の3番バッターを
2ストライクまで追い込みました。
「いける。」
そう思った瞬間、
高めに浮いたボールを打たれ、
ライト前ヒット。
その一打で、
2点が入りました。
スピードは120km/hを超えていましたが、
このレベルでは、それだけでは通用しません。
それでも、
打たれること自体は受け止められました。
周りの仲間が
「次!切り替えていこう!」
と声をかけてくれて、
切り替えることができました。
最後のプレーと、判断
最終回、
私はフォアボールで出塁し、
盗塁も決め、1アウト三塁。
外野フライが上がりました。
「ここで1点を取って、1点差にする。」
走らなければ、
0点のまま終わるかもしれない。
コーチャーからも「行け」の指示があり、
私は迷わず走りました。
結果は、アウト。
そのままゲームセット。
投手として点を取られ、
最後のアウトにもなった。
終わってみれば、
「自分のせいで負けた」
そう思いました。
本当に悔しかった。
もっとこのチームで、
もっと長く野球をやりたかった。
今でも残り続けている財産
それでも今、
振り返って思うことがあります。
大舞台で、
ミスをしても切り替えられたこと。
仲間に支えられながら、
最後まで集中してプレーできたこと。
この経験は、
今でも自分の中に残っています。
あの時の悔しさは、
大人になった今でも思い出せば蘇ります。
でもそれは、
後悔だけで終わっていないから。
振り返る材料になり、
判断の基準になり、
野球と向き合う姿勢の土台になっている。
このNPBジュニアトーナメントでの経験は、
結果以上に、
自分にとって大きな財産でした。
これからプロを目指し、
ジュニアトーナメントを目標にしている選手たちに、
この経験が少しでも届けば嬉しいです。
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「結果だけでは測れない野球の価値」
について書きました。
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