高校3年の夏、
私は甲子園のグラウンドに立った。
あの場所に立てたこと自体は、間違いなく特別だった。
でも同時に、
外野手として一番悔しい経験もあの舞台に残っている。
打球は弾丸ライナーだった
相手バッターが放った打球は、
いわゆる弾丸ライナー。
フライのように滞空時間があるわけでもない。
ゴロのように低く転がるわけでもない。
外野手にとって、
一瞬で判断を迫られる打球だった。
しかもその時スタンドは白く、
ボールと背景が一瞬重なった。
結果としてスタートが遅れた。
でも、
今思えばそれは言い訳だ。
本当に怖かったのは「見失ったことじゃない」
あの時、一番怖かったのは
ボールを見失ったことじゃなかった。
どっちに動けばいいか分からなかったこと。
前に出るのか。
後ろに下がるのか。
右か、左か。
考えた瞬間にプレーは終わる。
結果、
真正面に来た打球を「バンザイ」の形で捕球することができなかった。
外野手として完全に止まっていた。
ミスは敗因じゃなかった。でも…
その試合は一回戦で負けた。
チーム全体のエラーも多く、点差が開いた試合だった。
正直、
「あのプレー1つで負けた」
とは思っていない。
でも、あの瞬間に感じたことがある。
「大事な場面で何も判断できない選手なんだな」
その感覚はずっと残った。
フライだけじゃない。ライナーも「一歩目」だった
甲子園での経験を通して、はっきり分かったことがある。
背走が怖いのはフライだけじゃない。
ライナー性の打球も本質は同じだった。
・判断が早いか
・一歩目を切れているか
ここができていなければ、
フライでもライナーでも外野手は何もできない。
ライナー処理は「イチかバチか」の世界
ライナー性の打球では、
・ジャンピングキャッチ
・スライディングキャッチ
など、ファインプレーが生まれやすい。
良くも悪くも試合をひっくり返すプレーにもなりうる。
でもその裏には、必ず「早い一歩目」がある。
逆に言えば、
一歩目が遅れた時点でそのプレーは成立しない。
あとから分かった「なんとなく練習」の怖さ
甲子園でのプレーを振り返って、
あとから強く思ったことがある。
それは、
自分は “分かったつもり” で練習していただけだったということ。
ライナー処理の練習もフライ処理の練習も確かにやってはいた。
でも、
・何を判断する練習なのか
・どういう場面に活きてくる練習なのか
そこまで考えず、
ただ処理していただけだった。
大舞台で出るのは「考え抜いた準備」だけ
これは、
勉強にも似ていると思っている。
言われた範囲だけをなんとなくやる。
それでは本番で応用がきかない。
野球も同じで、日頃から
「なぜこの練習をしているのか」
を考えていないと大事な場面で判断が止まる。
甲子園でのプレーは、
そのことを嫌というほど教えてくれた。
高2の夏と、甲子園で共通していたこと
高2の夏、
センターで判断を一つ間違えた。
高3の夏、
甲子園でライナー性の打球に反応できなかった。
この2つに共通していたのは、
足の速さでも背走の技術でもない。
判断を信じられなくなっていたこと。
それが背走を怖くした本当の理由だった。
次につながる話
背走が怖くなる外野手は、
背走が下手なんじゃない。
一歩目が遅れて、無理な形になっているだけだ。
その一歩目は、
足の速さじゃなく、判断と準備で決まる。
この考え方については、
別の記事で詳しく書いています👇




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